葛の話シリーズ   第四十四話

 

世界一大きな葛餅と小麦粉でつくるくず餅

 

 

今回は風変りなくずもちの話二題を取り上げてみた。

 

平成二十一(二〇〇九)年九月二十日、井上天極堂は「世界一大きな葛餅づくり」と銘打って、奈良県桜井市山田の当社店舗「明日香の里 葛花」で巨大葛餅づくりのイベントを開催した。当初、天極堂は「クズ」をもじって九月二日を「クズの日」と決め、「クズのよさ」を広く知ってもらうために当日クズに関するイベントを催すことにした。九月二日は暦の上では秋であってもまだ残暑は厳しく、しかも旧暦二百十日の翌日に当たるため、年によっては荒天になることも予想される。だから「葛の日」を天候が安定し、しかも濃厚に秋の気配が漂よう九月二十日に変更した。

 

残暑もようやく和らぎ、申し分ない秋晴れの昼下がり。三十台のガスボンベ式携帯コンロを二列に並べた小鍋部隊が葛餅づくりに励んだ。参加者は大半が親子連れだった。

 

直径二十センチメートル、深さは十センチメートルの柄付き鍋に百グラムの吉野本葛を計り取り、五百ミリリットルの水でよく溶き、中火のコンロにかけて焦げつかないようによく混ぜる。白濁した葛の溶解液が透明になり始めたら、強い粘りが出てくるので子供の手には負えなくなる。だから、混ぜ手はおのずと父兄の役目になる。直射日光をほぼ真上から受けて、しゃもじを握る混ぜ手の父親の顔は真剣そのもの。額に汗が吹き出している人もいる。まわりの見物人に笑みを浮かべながらも握りしめた拳には思わず力がはいる。葛が完全に透明になれば出来上りだ。葛ねり(粘着物の塊り)は、流水につけて冷やした大鍋に移される。希望者が多数いたものだから、小鍋は洗って二順目の親子連れのグループに渡された。三順目でやっと小鍋にありつけた組もあった。出来上がった葛餅は直径六十センチメートル、重さは約二十キログラムもある。まさに世界一に恥じない大きな葛餅である。

 

参加者はめいめい給仕係の社員から葛餅を紙製容器に盛ってもらい、天極堂特製の黒糖蜜をかけて、きな粉をふって試食した。葛餅はふつう夏場によく冷えたものを風鈴の音色に耳を傾けながら冷たい麦茶で頂くのを良とするが、人肌よりも暖かく、蜜ときな粉の衣にくるまれた葛餅を初秋の陽の下で立食するのも常識外れで面白い。子供たちにとっては葛餅を食べるのは初めてだろう。大人にしてもこんな機会にはめったに出くわさない。珍しい食感に誘われてほとんどの人がお替りをしていた。

 

葛粉は元来東アジア特有の食品素材であったが、近年健康食品として欧米でめきめきと評判を高めている。二十キログラムもの巨大葛餅ならギネスブック級だと言っても可笑しくはない。だから、今回の定例イベントが地元の奈良新聞で大きく取り上げられ、話題をさらったことはいうまでもない。

 

巨大葛餅づくりイベントと同じ年(二〇〇九)の十二月二十三日、日本経済新聞で風変りなくず餅の話が紹介された。日経紙の「二〇〇年企業」欄で二〇〇年以上の創業歴を誇る東京江東区の和菓子老舗船橋屋の「くず餅」の話が掲載された。この店は文化二(一八〇五)年に下総国船橋出身の青年が江戸の亀戸天神社の門前で「くず餅」を売り始めたことを発祥とすると言う。船橋屋のホームページでは、この「くず餅」の原料は葛粉でなくて発酵小麦粉であると述べられている。しかし、なぜ小麦粉でつくった餅を「くず餅」と呼ぶのかについては特に説明はなかった。

 

天極堂社長にお願いして、試食のために船橋屋製「くず餅」を取り寄せてもらった。この「くず餅」は灰色で不透明、食感は名古屋名産の「外郎」のようだ。中国南部では、賓客にはオオクログワイ(馬蹄)の澱粉でつくった緑・白・褐色の三層からなる馬蹄羹でもてなすが、船橋屋製「くず餅」の舌ざわりはこれとも似ている。この「くず餅」の喉越しの感触は葛のようなわけにはゆかないが、ほどよい甘さの黒糖蜜をかけ、香ばしいきな粉をまぶせば、夏向きの和菓子としては悪くはない。「くず餅」の原料である発酵小麦というのは、小麦粉から麩の原料である小麦蛋白(グルテン)を取り出した後に廃残物として出る小麦澱粉のことである。この澱粉は脱水してせいぜい糊か飼料か肥料としてしか用途のない不要物であったろう。それを見事に「くず餅」に変身させた船橋屋の初代勘助さんは発明家と企業家の才を合わせ持っていたのであろう。

 

ちなみに、吉川英治は船橋屋の「くず餅」が大好物であったそうだ。西郷隆盛、芥川龍之介、永井荷風というようなわが国の歴史上の人物たちもこのくず餅のファンだったと言う。

 

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛