葛の話シリーズ第四十二話

 

 

四つ葉・五つ葉のクズ

 

 

 

およそ四十年前、私の助手時代の話である。兵庫県立兵庫農科大学が国立移管され、神戸大学農学部となった直後に大学紛争が起こり、学生たちと学部当局との間でしばしば徹夜の団交がもたれた。講義室は全共闘の学生たちにより封鎖され休講が続く中で、少数のノンポリ学生たちとよく六甲山へ登った。私とクズとの出合いはこの頃のことである。

 

 

年経た褐色の茎(越年茎)が地面を這い、あちこちの節から根(節根)が発生し、まるで大地に網を広げ、各所を杭で留めたような形で地面を固定しているクズのネットワーク(網目状構造)に興味を覚えた。しかも、夏場にあれほど威勢を誇った真葛原が、冬枯れ時には跡形もなく消え去る。その対称性が面白いこともあって、私は躊躇することなくクズを研究対象に選んだ。

 

 

正常とは言えないまでも講義が再開され始めると、クズへの興味はいやが上にも募り、大学紛争など遠い昔の出来事として記憶の片隅に追いやってしまっていた。今では当時の記憶はずいぶんと曖昧なものになってしまったが、クズにまつわる学生たちとの交流だけは不思議と鮮明に思い出すことが出来る。

 

 

数年を経て、クズの自然群落の構造に関する研究を何とか軌道に乗せ、次に当年茎(葉を着けた若い茎)の茎葉生産量の推定に取りかかっていた。ちょうど、学位論文を書くに当り不備な点を繕っていた時のことである。そんなある日、小さな人工気象室の隅っこで鉢植えの四つ葉のクローバーを育てておられた同僚の永吉照人さんと出くわした。鉢一杯に溢れかえった四つ葉のクローバーを朝日に当て、水をやっておられるところだった。氏の専門からして、多葉性に関する遺伝学の研究材料として学生実験にでも使うつもりであったのかも知れない。単なる短かい立ち話で、特に話題があったわけでもなかった。記憶していることと言えば、奈良の平城宮跡のどこかに、四つ葉のクローバー個体を多く含む群落が存在すると言うことだけだった。その時、クズにも多葉性があり、いつかどこかで出会えるかも知れないと漠然と考えていた。

 

 

クズの葉は長い葉柄の先に三枚の小葉を着生している。中央の小葉は、葉柄の先に形成された短かい小葉柄の先端に着生しており、頂小葉と呼ばれる。この小葉は中肋を境にして左右対称形である。これに対して左右二枚の小葉は葉柄の上端部に直接着生しており、二枚とも中肋を境とする左側と右側は対称形ではない。

 

 

被覆作物としてのクズの能力を評価する指標として、クズの葉は何重に地面を覆っているかを明らかにすることは重要である。一平方メートルの土地面積内のクズの葉を切取り、小葉の面積を測定すればクズの葉が何重に地面を覆っているかがわかる。一平方メートルの区画内のクズの小葉面積が三平方メートルであればクズの葉が三重に地面を覆っていることになり、このことを植物生態学では葉面積指数は三であると表現する。クズの葉のように水平に展開する葉では、葉面積指数は小さい。一方、イネ科植物のように比較的垂直に展開する葉では一般にこの指数は大きくなる。木や強固な茎をもつ広葉草が存在する群落では、クズの若い茎はこれらを支柱にして巻き上るので、正確な葉面積指数を測定することは出来ない。したがって、標準的なクズの葉面積指数測定のためには、平坦地で障害物のない群落部分を選定する必要がある。

 

 

クズの葉面積測定の際には、三枚の小葉とその他の部分、すなわち葉柄と小葉柄とを分離し、小葉の面積だけを測定する。ベルトコンベアのように動く無色透明のフィルムベルトの上に、小葉を重ならないようにして次々と乗せてゆけば、葉の面積は自動的に測定出来る。ただし、ベルトの幅より小葉幅の方が大きいことがあるので、大きすぎる小葉は前もって二分あるいは三分しておかねばならない。一枚の小葉なら十秒ほどで測定できる。土地面積一平方メートル内のクズの葉面積なら二十ないし三十分を要するだろう。

 

 

七月後半から九月前半にかけて、クズがよく繁茂し、しかも群落中にクズの支柱となる物体のない場所を選んだ。そこへ、一平方メートル方形枠を置いて枠内のクズの葉を採取しては葉面積を測定していった。対象群落は六甲山南麓部の神戸大学農学部の周辺、あるいは神戸市東灘区本山町の保久良神社付近にまで広がっていた。ある時、神戸大学理学部の最も南の研究棟の小道を隔てて東側の空地にある二十メートル四方ほどのよく繁茂したクズ群落の葉面積指数を調べた。その群落の一角に方形枠を置いてクズの葉を採取していた時のこと、左手で一枚の葉の葉柄を持ち上げると四枚の小葉が付いて来るではないか。そのうちの一枚はやや小振りなので、てっきり別の葉の小葉の一枚が絡み付いているのだと思った。葉柄の基部にまで指を這わせて若い茎から葉全体をもぎ取ったら、何ら抵抗なく四枚の小葉が同時に現われた。三小葉でなく四小葉のクズの葉、つまり四つ葉のクズだった。

 

 

小振りの小葉は左側葉と頂葉の間にあり、その先端は尖っておらず平坦だった。この小葉は頂葉と同様に、小葉柄の先に着いていたのか、あるいは側葉のように葉柄に着生していたのか、私の記憶はさだかではない。五小葉のクズの葉も同じ空地で発見した。四枚目とした小葉は正常小葉の半分程度だったが、五枚目の小葉は極端に小さく、大人の親指の先ほどのサイズだった。五枚の小葉の配置がどのようであったかは全く覚えていない。なにしろ三十年も前のことである。その後もクズの研究を続け、今でもクズと出くわしたら四つ葉、五つ葉のクズを探してみるが、見つかっていない。写真を撮っておけばよかったのにと、思い出しては悔やまれる。それすら出来なかったのは、研究者としてとんだ失態を演じたことになる。しかし、あの頃は昼間は葉面積のデーター集め、夜は学位論文を書くことに没頭していて、全く余裕がなかった。

 

 

四つ葉、五つ葉のクズは何処にでもあるわけではないだろうが、あの方なら一度ならず四つ葉クズ、五つ葉クズに出くわされたことがあるのではないかと想像する人がいる。面識はないのだが、東北の山村に暮らす釣り好きの少年を描いた「釣りキチ三平」で名を馳せた漫画家の矢口高雄さんなら、ひょっとすれば四つ葉クズ、五つ葉クズを見ていらっしゃるかも知れない。氏の作品「螢雪時代 第五巻(ボクの中学生時代) 雪の夜」によると、タカオ少年は中学卒業後進学せずに東京浅草のブラシ工場に就職が内定していたそうだ。本人は高校進学を望んだが、家庭が貧しいために断念せざるを得なかった。タカオ少年の能力を惜しんだ担任の小泉先生は、卒業が近づいたある雪の夜少年宅に泊り込んで両親の説得に当り、少年の進学にこぎつけたのだった。しかし、タカオ少年には、学費を稼ぐために学校の休みの日は働くべしとの条件がつけられた。だから、少年は高校時代には夏休みは母親とともに真夏の炎天下「クズの葉採り」に励んだものだった。

 

 

クズの葉は葉柄の基部で若い茎から外し、葉柄部を束ねて直径五ー六センチメートルの小束とし、小束を十束ずつ縄で連ねて軒下に吊して乾燥させる。当時は、クズの葉は地方によっては冬場の牛馬の飼料として貴重だったのだ。牛馬にクズの葉を与えるのは体調を崩した時とか、ハレの日に限られていたようである。だから、クズの葉を「ウマノオコワ」、「ウマノボタモチ」と呼ぶ地方がある。筆者は、少年時代に「クズの葉採り」をしたことのある矢口高雄さんなら四つ葉、五つ葉のクズをご覧になったことがあるに違いないと確信している。

 

 

なお、この小文を書くに当たり、平城京跡の四つ葉のクローバーの件について永吉照人さんに問い合わせてみたが、もう疾っくにお忘れになっているようであった。氏は、定年退職後は民間会社でサギソウの研究をされているそうだが、わざわざ四つ葉のクローバーの腊葉を作り、写真とともに送って下さった。クローバーの多葉性については研究が進んでいるようで、二〇〇九年八月十九日の日本経済新聞朝刊によると、岩手県で農業を営む小原繁男さんは五十六葉クローバーを作り出されているそうである。三葉のクローバーより多葉性クローバーの方が器官別乾物重に占める小葉重の割合が大きくなるので、牧草としての栄養価が高くなると言う。クズでも同じ理屈が成り立つだろう。

 

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛