葛の話シリーズ第四十九話

 

 奈良県の産官学共同研究で見直されたざく葛根

 

 

 わが国では食の欧米化が進んで、食生活に起因すると考えられる生活習慣病が社会問題として大きく取り上げられるようになって久しい。この種の病気は日常の食生活に起因するものだから、日頃から自らの生活を律することにより予防への取り組みは可能である。しかし、食べ物には人それぞれに好みがあり、安易に自らの嗜好に流されてしまって、実際には正しい習慣を身につけることは意外と難しい。そこで、不足する分を手軽に補給できるサプリメント、の間栄養補助食品に頼ることになる。

 

 わが国には昔から食用や薬用として使われてきた優れた植物資源が多数ある。奈良県では、大学や国、県の研究機関ならびに関連企業を動員して、それらの素材の機能性を活用すべく実用化技術の開発を行い、新規サプリメント商品を創出して、生活習慣病を予防する研究それが、平成十八(二〇〇六)年一月に(財)奈良県中小企業支援センター、奈良県および(独法)科学技術振興機構の三者により策定された奈良県地域結集型研究開発プログラムである。早速、奈良県植物機能活用クラスター協議会が組織され、第一回会合が同年六月九日に橿原市橿原ロイヤルホテルで開催された。この協議会の名称から農学関係者の参加を予想したが、当日会場で奈良県農林部に奉職されている十名ほどの神戸大学農学部出身の方々にお目に掛かる機会を得た。

 

 奈良県下に自生するとか、栽培されている植物資源の機能性を活用するとなれば、古来奈良(大和)がわが国の三大生薬産地の一つであることからして、薬用植物に焦点が絞られそうだ。たとえば、クズはわが国の至る所に自生する薬用植物(葛根湯の主薬)であるが、製葛(葛粉製造)業界では奈良県産であることが最高の銘柄(吉野葛)になっているている澱粉料である。以上のことから、学問的知見の集積と地域産業の振興を計る地域ブランド戦略を進める上で、クズはオンリーワンを狙える絶好の研究対象であると等しい。クズ以外には「大和」の地名が冠せられる「大和マナ」、「大和当帰」、「大和牡薬」、「大和茶」の四品目も研究対象に加えられた。品目ごとに研究課題が定められ、研究体制が整えられた。

 

 クズ研究班のテーマは「吉野クズの骨粗鬆症予防機能等の評価及び栽培・食品への応用」であって、内容は基礎から実用化までを含むものである。近畿大学農学部、奈良県農業総合センター高原農業振興センター、その他薬品、食品および醸造関係の企業が一体となってこの問題に挑んだ。また、クズの栽培に関しては、御所市と吉野町の農家が遊休地あるいは耕作放棄地対策事業の続きとして協力し、原料の安定供給の可能性についてまで検討内容に含まれるという大規模かつ長期(五年間)にわたる研究であった。井上天極堂井上昇吾社長の推薦があり、筆者はクズ研究班のスキルバンク登録専門家、後続アドバイザーを拝命した。職務内容は、クズの栽培とクズの植物体各部位を活用して新規商品を開発し、産業化を計るための助言であった。平成十九(二〇〇七)年三月九日が筆者の初仕事で、御所市の天極堂本社においてクズ班の研究者、中小企業支援センターの企業化プロジェクトのマネージメント担当者および各種企業の方々にクズの種々の用途について二時間ほどのレクチャーを行った。

 

 クズが商業ベースで食用あるいは薬用に使われる場合、葛花解醒湯(かっかげせいとう)の希少例を除けば、すべてその塊根が用いられてきた。ところが、今回の吉野葛を活用する研究は、塊根ではなくて茎と葉を使う点に特徴がある。塊根については、葛粉のように精製された澱粉だけを製造・販売する場合には製薬関係の許可は必要としない。しかし、塊根は日本薬局方で生薬に指定されているので、食品会社が塊根ならびにその抽出物から食品添加物を製造出来ない。この点については、兵庫県明石市の(株)西海酒造とともに、著者が葛酒を造った際に経験済みである。

 

 クズの根のイソフラボン成分を酒に導入するために米麹(米こうじ、米を蒸して麹菌を繁殖させたもの)の代わりに和漢薬葛根湯の主薬である葛根(クズの根を五アパート角に刻み、乾燥したもの)に麹菌を繁殖させた葛根麹で酒を造った。目標通りに葛根のイソフラボン類は酒の中に移行した。麹の種類が異なるだけで他の原料は普通の清酒と全く同じものを使ったのだが、監督官庁である大阪国税局はこのイソフラボン入りの酒を酒造メーカーが造ることを認めなかった。しかし、製造法の譲渡は可能だし、時代が変われば酒造メーカーでもこの酒を造れるようになるかも知れないと言うことであった。西海酒造は、許可なしでは今後一切この種の酒は造らないという一札を入れて特許の取得を計った。もし生薬指定部位の塊根成分の薬効を狙った酒造りをするのであれば、製薬と酒造の二種の免許が必要なのである。

 

 クズ研究班は、上記のような状況から、木化越冬して褐色化した茎(越年茎)と葉、日常生薬非指定部位からサプリメントや食品添加物を開発しようとしたのである。塊根の代わりに茎葉を用いることが出来れば資源は無尽蔵となる。古来クズの葉や若い茎は良質の粗飼料として牛馬の餌とされてきた。クズの葉は、乾燥粉末にして、抹茶に交ぜて飲用されたり、粉末がパンに混ぜ込まれたりしている。また、それは家庭で天ぷらの素材として珍重される。葉を装着た緑色の若い茎(当年茎)の軟らかい先端部分も天ぷらの材料として使われることがあるので、葉と当年茎はひとまず人畜無害とみなし得る。ところが、クズの越年茎が薬用あるいは食用に供された事例をクズ班の研究者は誰も知らなかったので、越年茎については毒性試験が必要であると言うことになった。しかし、動物実験を経て、人体実験を済ませるには相当な費用と時間がかかる。このままでは、時宜にかなったせっかくの大規模研究も構想倒れに終わることが危惧された。そこで、クズ研究班では、クズの越年茎が薬用あるいは食用に供されたことを示す過去の資料を捜すために新たに専属の生薬学分野のスキルバンク登録専門家を雇ったほどである。

 

 筆者は、クズ研究班の高原農業振興センター中野智彦さんからクズ越年茎の安全性の件で相談を受けた時、即座にずっと以前に目にしたことのある「ざく塊根」に関する講演要旨のことを思い出していた。たぶん昭和三十年代(一九五五〜一九六四)か、四十年代(一九六五〜一九七四)の生薬関係の学会​​の講演要旨とおぼしい手書きの文献であった。講演要旨集の名称、演題、著者名および所属は全く記憶にないが、ただ「ざく葛根」の用語だけは鮮明に覚えている。要旨の内容はクズの根の部位別イソフラボン含有と、クズの越年茎を「ざく葛根」と称し、越年茎の新旧程度によりイソフラボン含有に差が生じるというものではなかったかと思う。

 

 新薬の開発が進んでいなかった江戸時代には、薬と言えば和漢薬と呼ばれる生薬に限られている。なかでも、種々の病状に適用された葛根湯は莫大な消費量を誇った。この処方の主薬は、五mm角に刻み、乾燥したクズの根であるから、当然薬用面でのクズ根の消費は大きかったに違いない。一方、トウモロコシ。カンショおよびバレイショの主要澱粉作物はまだわが国には普及せず、キャッサバ澱粉の輸入もなかった当時のこと、クズの根から採取される葛粉は日本人の生活に欠かせない食材であった。頻発する飢餓に備えて、救荒食としても常に葛粉の備蓄が必要とされた。当然、食用面でもクズ根の需要は逼迫したであろう。前述のことから、食薬両分野間でクズの根を巡って激しい競合が起こっていたであろうことは容易に想像がつく。生薬クズ根の代替物が欲しいところである。こんな時、クズの塊根に連なる越年茎にも薬効成分が含まれているのではないかと誰かが想像したとしても不思議ではない。越年茎の新茎と旧茎の間で薬効を試してみたところ、旧茎の方が効果は大であることにも気付いたはずである。

 

 以上に述べたような理由で、クズの塊根から生産したものは「葛根」と呼び、代用品である越年茎からの生産物を「ざく塊根」と称したのであろう。ちなみに「ざく」の語は現在では死語同然になってしまっているが、広辞苑を引くと、「ざく」とは(一)すき焼など鍋料理で、肉に添えて煮るネギなどの野菜。(二)「ざくぜに」の略となっている。「ざくぜに」とは「ざく銭」と書き、粗悪な銭の意味で、ばらせん、びたせんとも言うとある。その後、クズの越年茎からつくった「ざく葛根」とは塊根からつくる正真正銘の葛根の代用品というほどの意味だろう。ざく葛根は、効能では本物の葛根に劣るかも知れないが、食用との競合が避けられるため重宝がられたものと思われる。なお、クズの塊根のうち、株の直下にある細い首の部分二〇〜三〇センチメートルほどは、澱粉含有が低いので葛粉製造の場合には捨てられるが、この部位はイソフラボン含量が高いので、ざく葛根として用いられたに違いない。

 

 筆者の助言が奏効したのかどうかは知らないが、越年茎を使ったクズ班の研究は順調に進んでいるようであった。年一回行われる中間発表会では、毎回講演なりポスターセッションなりで研究成果が発表されていた。当時、クズの栽培化研究担当の奈良県高原農業研究センター所長に神戸大学農学部出身の信岡尚さんが就任されていたので、年に一、二回研究の進捗状況をお聞きするために訪問していた。担当研究員の中野智彦さんはクズ苗の増殖、露地栽培における省力的雑草防除、越年茎の適正収穫年次と収穫法、および茎のチップ化などについて実用性の高い成果を集積されつつあった。

 

 クズ苗の育成には、別途に形成された若い越年茎が使われる。節を中心に上下三センチメートルの部分が挿穂となる。四月下旬から五月中旬に挿穂を切り出し、直径約十センチメートル、高さ十二センチメートルほどの黒色塩ビ製ポットに、節が土中に隠れる程度に挿す。ポットを弱い遮光下に置き、適切灌水(かんすい)して育苗につとめる。節から若い茎が上方へ、また白い根が土中に伸びて苗が育つ。梅雨の始めにそれらの苗を本圃へ移植する。クズ畑には雑草防除のために、初め極厚手ビニールシートを全面に敷き詰め、縦横二メートル間隔でビニールシートにあけられた定植用の穴に植え付ける。肥料は、荒地ではダイズ栽培に準じて隔離が、田畑なら無肥料でもよく育つ。気温が上昇すると緑色のクズの蔓は隣接個体の蔓と交叉しながらよく伸びて、圃場全面を被覆する。クズの葉はシカの好餌となるので、繁茂期間中は圃場の周囲にシカ避けネットを張り巡らせて、侵入防止対策を取らなければならない。高さ一・五メートルほどのノリ網を裾を垂らすようにして張るのが効果的だと言われる。二月末になって落葉の終わった頃が茎の収穫期である茎専用のチップアーを搭載した軽トラックを圃場脇に乗りつける。株元から茎を刈り取り、トラックに運び、その場でチップづくりを行う。茎のチップは乾燥して、有効成分抽出用に貯蔵される。

 

 「新世紀植物機能活用技術の開発研究」の中間発表会は平成十八(二〇〇六)年度から平成二十一(二〇〇九)年度の四年間を通して毎年開催された。クズ班は基礎から応用に至るまで研究成果を着実に蓄積しているようであった。平成二十二(二〇一〇)年十一月一日に奈良県奈良市の奈良ロイヤルホテルで開催された最終研究成果発表会では、骨粗鬆症予防健康食品として、製薬会社が骨関節トータルサポート食品(サプリメント)を製造し、平成二十四(二〇一二)年度には二万箱(一個三十日分)入り)を販売する目標を立てている。この会社は大和茶葉とクズの葉をブレンドしたクズ葉入りブレンドティーを製造し、平成二十二(二〇一〇)年度には千九百十一万円、二十三年度には二千三百五十二万円の売上を予想している。製麺業者はクズ葉入り素麺をつくり、平成二十三年度は三百八十万円、二十三年度には五百万円の売上予想を出している。また、酒造会社はクズ葉入りリキュールを製造しているが、売上予想は平成二十二年度三百三十四万円、二十三年度三百五十三万円としている。

 

 クズの茎葉が牛馬の飼料として役立った時代は遥か昔のことになってしまった。現在では、葛粉製造が存続している地方を除くと、クズは若い植林地を侵食して林業家の不興を買うにすぎない存在になり下がっている。そんなクズが今回の奈良県による植物機能開発研究により、一躍社会問題となっている生活習慣病の予防の場面に登場出来たことは、クズ属植物研究者として慶賀に堪えない。研究期間中は中間発表会には毎回出席して研究成果を拝聴してきたが、今回クズの話シリーズで取り上げることが出来て喜んでいる。

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛