葛の話シリーズ第十四話

 

宝達の葛づくり

 

 

加賀(石川県)と越中(富山県)の国境には、海抜六三〇メートルばかりの宝達山がひかえている。ちょうど、口能登と呼ばれる能登半島の首根っこに相当するあたりだ。ここは近世初期に栄えた金山で、天正(一五七三~一五八二)の半ばに開発されたのだが、この地のゴールド・ラッシュも数十年の寿命だった。寛文(一六六一~一六七三)の頃にはほとんど産金はなく、かつての鉱山町の面影は失われてしまっていたようである。金山の廃絶後は、失業した鉱夫たちは葛粉製造を始めたと言われる。

 

製葛業が現存する石川県羽咋郡押水町宝達は、かつて金山鉱夫たちの飯場として発展した集落で、葛粉はここでほぼ独占的に生産されてきたそうだ。羽咋郡誌は「宝達金鉱の廃絶して、礦夫等其の業を失ひし際、葛根を掘りて其の製造を創始したるもののと如し、・・・」と述べているが、当地の言い伝えでは、天正年間に鉱夫が下痢止めとして使ったのが葛粉づくりの始まりとなっている。

 

昔は全国いたるところで葛粉をつくっていたものだから、金の採掘が始まる前からこのあたりでも葛粉づくりが行われていたものと筆者は推測している。金が採れる間は、たぶん鉱夫らは金鉱を掘りながら暇を見つけてはクズの根堀りをしていたのだろう。

 

蒸し暑くて、狭苦しい空間で金を掘ることで鍛えた腕だ。堀り道具も揃っている。葛根掘りなど朝飯前である。冬の間は葛粉づくりに精をだし、夏バテ時にそれを食していたものと思われる。

 

クズの根には鎮痙作用をもつイソフラボン誘導体が多量に含まれている。また、腸管収縮等のアセチルコリン作用をもつコリン誘導体も含まれる。だから、葛粉には整腸効果が期待できるわけである。主薬にクズの乾燥片を処方する風邪薬として有名な葛根湯ではあるが、この和漢薬の効能として下痢止め効果が記述されているのを読者諸氏はご存じだろうか。当時、葛根湯は極めて守備範囲の広い常備薬だったのである。

 

昔の精製技術では、水晒しを何度も繰り返さなければ、純白の葛粉は得られなっかた。つまり、夾雑物の除去が難しかったようだ。しかし、自家用に供するのだったら葛粉の着色程度などはまったく問題にならない。そんなわけで、鉱夫たちの食べる葛湯は少し褐色がかっていたかも知れないが、下痢止め・夏バテに有効な成分がたっぷりはいっていたはずだ。宝達金山では、葛粉は風邪や夏バテで鉱夫たちが体調を崩すのを防ぎ、劣悪な環境下での過酷な労働に耐えるのに役立っていたのである。

 

金山としての宝達は衰微するのが早かったようだが、宝達の葛粉の方は近くに加賀百万石の城下町金沢がある関係で、料理・菓子に使われて生き残った。幕末の頃には、宝達の葛は商品として世に名を成したと言われる。大正七(一九一八)年の文献資料によると、宝達の生産は二一石(三.八キロリットル)となっている。平成十三(二〇〇一)年には四百年の伝統を守らんがために、五名ほどの組合員で活動している宝達葛生産組合は、年間九十キログラムの葛粉を生産している。ちなみに、ここの葛粉の商標は「ヤマホ能州宝達葛」である。「ヤマホ」とは「山の宝」、「山の誉れ」という意味らしい。

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛