葛の話シリーズ第三十話

 

 

真葛ヶ原の決闘

 

 

 「真葛ヶ原の決闘ー祇園社神灯事件簿三」とは、当節の売れっ子作家澤田ふじ子さんの小説の題名(中公文庫)である。この「真葛ヶ原」は、京都四条通りを東へ突き当たった東山の八坂神社から、円山公園をへて知恩院に至る台地一帯をさす実在の地名である。しかし、地名にまでなっていなくても、真葛原と呼ぶにふさわしいクズの生い茂った野っぱらはあちこちにあったようだ。

 

 

 夏の真っ盛り、坂道を上りきり、眼前の景色を眺めながら胸元に涼風を送り込むために立ち止まった。足下に広がる緩やかな傾斜地のクズの原っぱでは、風が通る道筋のクズは一斉に白い葉裏を翻してみせながら、葉ずれの音をたてている。風が通り過ぎてしまうと、先ほどの慌てっぷりは嘘だったかのように、クズは葉表を太陽に向けて居ずまいを正している。夏場のクズ群落は人を飲み込むほどの草丈があり、樹林との境界部あたりではクズの蔓は一斉に木に巻き上がっている。その繁殖ぶりは尋常ではない。万葉集で、「赤駒の行ききはばかる真葛原」と詠まれたように、クズ群落は葉を着けた若い茎と木化した太い旧茎を張りめぐらせて、駿馬の通行さえ遮断するほど繁茂している。

 

 

 ところが、冬枯れのクズの原っぱは見すぼらしいほどにまでかさを減らしている。枯れ残った群落は膝の高さほどにも達しないが、走り抜けようとすると蔓が足にからんで引き倒される。また、足もとのクズの落葉は、いくら静かに歩いても、音をたてずにはおかないほどよく乾いている。このクズの原っぱは土砂崩れか山火事跡地へ周囲のクズが侵入してできたものと見受けられる。

 

 

 木綿が普及した時代でも、クズの若い茎から採る靱皮繊維は衣服の重要な原料だった。クズが支持物に巻きのぼると、主茎は伸びずに多数の分枝が発生する。このような茎から採線すると均一な太さの糸が採れず、分枝跡が結節状になって、質の悪い糸になる。一方、主茎がまっすぐに伸びて分枝の少ない茎からは、節の目立たない良質の糸が採れる。だから、自然群落のクズを利用するだけでなく、火を放って真葛原を造成したものである。春先にクズ群落に火を入れると、旧茎の細い先端部分は燃えつき、焼け残った旧茎の基部に近い節からの芽は太くて分枝の少ない新茎を勢い良く伸ばす。この火入れにより発生した良質の新茎を焼葛と言い、良い糸が採れるので喜ばれた。

 

 

 毎年火入れをすると、樹木類は侵入出来ない。だから、真葛原と呼ばれるクズが優占した群落が形成される。クズが衣服素材として大きな用途をもっていた時代には、大面積を占める真葛原があちこちにきられたことだろう。京都東山の真葛ヶ原は、衣服原料のクズの茎を採取するか、あるいは付近にたくさんある寺社を火災から守る防火帯を造るために、火入れを繰り返すうちに出来上がったたものと思われる。ところで、なぜ仇討ちの場所に真葛ヶ原が選ばれたのか、ここで果たし合いをすれば敵討ち免許状を御上に届け出た側にどんな利点があったのかを小説「真葛ヶ原の決闘」に戻って考えてみよう。

 

 

 時は江戸時代の半ばごろ、京の都は東山、八坂神社界隈が「真葛ヶ原の決闘」の舞台である。尾張徳川家浪人中川新兵衛は父のかたき探し出て十五年、やっとかたきに巡り会えたのはよかったが、残念なことに重い結核に冒されて、病床を離れられない身になっていた。短期間ながら妻子が新兵衛一家と同じ長屋で暮らしていたことがある村国惣十朗は、息子から憤討の件を聞かされて、祇園社の神灯目付役の頭分植松頼助、同輩の孫市と語らって、かたきの元尾張藩士岩倉彦次郎一派による新兵衛への闇討を防ぐ、彼の助太刀をして東山の真葛ヶ原で見事に本懐をとげさせるのである。

 

 

 この物語の主人公、盲目の剣士村国惣十朗は祇園社の神灯目付役を拝命していた。祇園社というのは、神仏習合の社寺であった江戸時代の呼び名で、明治維新以後は八坂神社と社名が改められている。神灯目付役は神殿にともされる明かりや灯籠の火を見まわりながら祇園社の警固をまかされていた。惣十朗は馬庭念流の奥義を極め、秘伝「無明剣」を体得して、目が見えなくても相手の動きを正確に感じ取ることが出来た。日常生活においては、まるで健常者のようにふるまっている。惣十朗は刀鍛冶に諸刃の小柄(手裏剣)をつくらせ、暇があると庭木に向って飛ばしていた。秋から初冬にかけては、はらはらと散る落葉を狙って小柄を打っている。百発百中、的を外すことはない。小柄は見事に落葉を向いの木の幹に打ち止めていた。

 

 

 神灯目付役の頭分植松頼助は公家の家柄だが、堅苦しい宮仕えが嫌で、この役についている。惣十朗から馬庭念流を習い、若輩ながら相当な使い手である。頼助を主筋としてあがめる町人出の孫市は、髪に白いものが混じる年配だが、忍者修行も積んでいて、若者のような敏捷さで敵に対処することが出来た。

 

 当時、洛中(京都の市内)での斬り合いは京都所司代により堅く禁じられていたので、惣十朗は洛外と認められている東山の真葛ヶ原を猛討ちの場所に選んだのである。そこなら、どんな勝算でも立てられると考えたからだ。

 

 

 桜の花はまだ先のことだが、穏やかな天候が続き、大気はどこか春めいてきている。祇園社の鐘がガンと頭上で鳴りひびき正午を告げた。これを合図に敵討人中川新兵衛を先頭に、介添え役を兼ねた助太刀の村国惣十朗、それに植松頼助、孫市が祇園社の裏門から真葛ヶ原へおし出してきた。立会人の東町奉行所総与力はすかさず誰何して四人の身元をただすと、祇園社の裏門の方をむいて展開している相手方の多数の男たちに向って、決闘の開始を促した。前日に張りめぐらせた竹矢来のむこうでは、敵討の噂を聞いて集まってきた物見高い見物人たちがかたずをのんで見まもっている。彼らすべては顔見知りの中川新兵衛や神灯目付役たちの味方である。さて、六〇人もの敵を相手に総十朗はどんな秘策を用いて戦うのだろうか。

 

 

 かたきの岩倉彦次郎は傲慢な態度で進ん出てきたが、その背後の助人たちの間で早くも小さな動揺が起った。祇園社に向けては弓は引けないので、祇園社を背にして戦おうとする四人には弓を使えないのだ。彦次郎側にとっては、見通しのきく原っぱで飛道具を使えないのは大きな誤算であった。ところが、惣十朗はクズの枯葉を踏みしだく足音で敵の位置を測れるし、樹木のような遮蔽物がないので、小柄を投げやすいのだ。

 

 

 並んで立つ新兵衛と惣十朗に近づきながら、彦次郎は足もとに不安を感じていた。クズの蔓が足に絡んで歩きにくい。間を詰めようとして摺足になってにじり寄ろうとしたとたん、彦次郎はたちまち地面をはうクズの蔓に足と取られてつまずいた。体勢を立て直そうとしてたたらを踏んだら、地面のクズの枯葉が一瞬立ち騒いだ。見えぬ目のかわりに、惣十朗の冴えわたる聴覚は、前方の闇の虚空に彦次郎の輪郭を浮かび上がらせた。惣十朗は頭部とおぼしき辺りにすかさず小柄を飛ばし、両手とも使えなくした。間ぱつを入れず新兵衛の一撃が正面から襲った。それで、岩倉彦次郎は悶絶し果てた。

 

 

 敵彦次郎は倒れ、見物人たちが「勝負あった」、「神灯目付役側に勝ち」と口ぐちに叫び出したので、立会人の総与力は激討ちが終ったことを宣言した。彦次郎の助っ人たちは刀を収めなければならなかった。

 

 

 祇園社の鐘楼から夕べの鐘がつき鳴らされる頃には、すでに竹矢来は取り除かれていた。東山界隈の往来の人通りも普段に戻り、昼間の騒ぎをすっかり忘れたかのように、夕暮の煙が静かに町屋から立ちのぼっていた。

 

 

神戸大学名誉教授津川兵衛