葛の話シリーズ第十二話

 

葛と健康

 

真葛原ー葛布原料の採取地

 

 

わが国で葛布産業が現存するのは掛川市に限られているが、昔は全国各地で葛布製造が行われていたようだ。鹿児島市串木野市の西約四十キロメートルの沖合いに浮かぶ上甑島の上甑村瀬上(鹿児島県薩摩郡)でも昭和三十年頃まで葛布を織っていたと言うことである。昭和(一九二六~一九八八)の初めまでは、枝分かれが少なく主茎が勢いよく伸びたクズの若い蔓を得るために、村の共同管理下にある原野に火入れをしていた。そして「口明け」という蔓の採取解禁が近づくと、期日と人数を決めて「焼けクズ」と呼ぶ、焼け跡でよく伸びた若い蔓を採りに出かける。

 

万葉時代にはクズの繊維を衣に織り、衣服にしていたことを例証する歌として、葛の話シリーズ十一話で『真葛原』の語を詠み込んだ一首を紹介したが、次に挙げる万葉集秋の雑歌にも真葛原の文字がみえる。

 

 

真葛原なびく秋風吹くごとに 阿太の大野の萩の花散る (巻十、読み人知らず)

 

 

この真葛原というのは一種のクズの栽培地なのである。しかし、栽培といっても、土地を耕して畝立てをしたり、施肥するわけではない。ちょうどススキ草地を維持するのと同じ要領で、年に一度野焼きをするだけである。傾斜地では斜面の上方から下方に向って焼いてゆく。また、風下から風上に向って火を入れるのが野焼きのこつだ。逆ではないのかと思われるかも知れないが、地上に堆積した植物遺体を入念に燃やすにはこの方がよい。毎年火入れをすると、この栽培地には樹木は侵入してこない。冬に枯れた蔓の先端部は枯れ落ち葉とともに燃え尽きてしまう。焼け跡は掃き清められたように美しい。四月になれば、焼け残った旧茎の節から萌芽して旺盛に伸長した焼けクズが育つ。初夏に焼けクズを刈り取り、採繊にまわす。

 

夏の終わりには、刈り跡から若い蔓が再生して絡まり合い、葉は重なり合って真葛原は人の背も隠れんばかりだ。脚に蔓が絡んで、駿馬でさえ通り抜けできないほどに、真葛原は凋密な群落に発達する。その状態を万葉人は次のように詠んでいる。

 

 

赤駒の行きはばかる真葛原 何の伝言直にし良けむ (巻十二、読み人知らず)

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛