葛の話シリーズ 第四十五話
 
 

 葛と猪
 
 

 江戸時代(一六〇三~一八六七)は世界的に気候不順であった。現在のようなイネの耐寒性品種が開発されていなかったので、青森県八戸地方は二年に一度は凶作に見舞われていたそうだ。山背(初夏に吹く冷たい北東風)が主因で天明三(一七八三)年には八戸藩では領民の約半数が餓死したと言われる。この地方では、元禄(一六八八~一七〇四)の頃からイノシシが増えて田畑を荒しまわっていた。寛延二(一七四九)年の秋には、冷害による凶作に追い打ちをかけるようにイノシシの大群が押し寄せて、一万五千石(約二千七百キロリットル)の被害が発生し、約三千人もが餓死したと言う。このように、冷害に猪害が加わって生ずる飢饉を青森地方では猪飢渇(いのししけがじ)と呼んでいる。八戸藩ではイノシシ脅しの鉄砲が、農民に貸し出されたりしたそうだ。また、イノシシは足が短いので深い雪の中では動きがとれなくなって、捕獲しやすくなる。だから、雪乞い祈願が行われたと言う。
 
 
 イノシシの異常繁殖の背景には、ダイズ生産の拡大がある。大豆づくりをした畑は数年で地力が失われるので放棄された。その跡地には、根あるいは地下茎に大量の澱粉を蓄えるクズやワラビが隣接地から侵入して、すぐに大群落を形成する。イノシシはこれら野草の地下部をたらふく食べて、大繁殖すると言うことだ。
 
 
 ちなみに、ダイズ作を数年続ければ地力が急激に低下すると言うことだが、これは次のように解釈すればよいのではなかろうか。すなわち、ダイズはマメ科植物であって、根に根粒を着生して大気中の窒素を固定し、栄養源として利用出来るので、比較的窒素肥料の不足には陥り難い。加里肥料は木灰・わら灰として与えればよい。当時、堆肥や人糞尿の他に、乾鰯(ほしか)と称してニシンやイワシを天日で干し固めたもの(油を抜いた後に天日干しする場合もある)を施用していたが、どうしてもダイズの生育には必須養分である燐酸肥料が不足し、著しい減収をもたらしたものと思われる。また、ダイズは連作により収量が大幅に低下する特性がある。連作によりダイズ線虫や根瘤線虫の多発が顕著な減収を招くのである。筆者は、ダイズ畑放棄の原因は以上のような事情によると考えている。ところで、猪飢渇の話は神戸新聞昭和六十二(一九八七)年十二月九日夕刊 新・日本風土記「道」(文・野村満利、写真・二瓶博光)から引用させていただいた。
 
 
 一九八〇年代後半には、筆者は六甲山系南麓部、阪急岡本駅の北にある保久良神社付近でクズの群落調査をしていた。冬場は雑草類は枯れ、木々は落葉して、大阪湾が遠望出来て、あたり一帯は平明開豁(かいかつ)な雰囲気が漂う。クズ群落への接近が容易になり、クズの越年茎や根群の採取が捗(はかど)るので、私の稼ぎ時だった。よく繁茂したクズ群落を選び、十メートル×十メートルないし二十メートル×二十メートルの土地面積に、縦横一メートルごとに区切った五メートル×五メートルの網(紐製方形枠)を被せる。一平方メートルごとに、クズの越年茎を出来るだけ動かさないようにして、枯れ落ちて地面に堆積した植物遺体を取り除く。そして、クズの根株および発根節の位置を百分の一の面積の方眼紙上に打点する。この打点方眼紙は、後ほど根株と発根節の分布様式の解析に供する。方眼紙上に根株・発根節の位置を打点し終えた方形枠については、一平方メートル枠ごとに、根の上端部を着けた状態の越年茎を採取して、研究室に持ち帰り、茎と根の幾つかの形質につき測定した。冬の間は、毎日がこのような作業の連続だった。私の研究では、どんな大きなクズの株でも根の上端部七~十センチ程度を採取すれば目的を達成出来たので、大穴を掘る必要はなかった。しかし、イノシシはクズ根の澱粉を最も豊富に含む肥大部を好むので、地表から深さ三十~五十センチメートル、直径一メートルもの穴を掘っている。イノシシは贅沢者で、クズ根のふっくらと膨らんだ肥大部だけを食べ、株元付近や根の先端に近くて、澱粉含量の低い部位は見向きもしない。だから、イノシシは多数の根を掘る必要があった。実際、冬枯れの山麓斜面を見渡すと、イノシシによる穴ぼこだらけの箇所があった。夏場には、イノシシの堀り跡はない。これは斜面は丈の高い草で覆われるのでイノシシの掘った穴は目立たなくなるからであろうと思われるかも知れないが、実はイノシシは夏場はクズをあまり食べないようだ。山歩きをしてみても夏に掘った新しい穴はほとんどない。夏場のクズの根の澱粉含量は、冬と比較して激減することをイノシシは知っているのである。クズは、春から夏にかけて当年生の長大な葉茎冠を展開するために、秋から冬にかけて根に貯蔵されていた澱粉を消耗してしまっている。イノシシは夏は他の餌を食しているのだろう。夏の食物としては、植物ではワラビの地下茎が候補に挙げられるかも知れない。ワラビの地下茎はクズの根と異なり、夏でも澱粉含量はそれほど低下しないからである。澱粉含量は高くはないが、嗜好に合うのか、イノシシは竹の子をよく食べる。
 
 
 一九七〇年代から八〇年代には、阪急岡本駅の北にある保久良神社から住吉川上流の五助谷にかけての一帯へよく通った。ある時は住吉川上流で二十頭ほどの野犬に取り囲まれて吼え立てられたことがあった。梅雨明け前の豪雨直後、往きは細い亀裂が走っているだけだった登山道が、帰途には崩れ落ちているのを見たとたん、思わず背筋に戦慄が走った。一声を残して足下から急に飛び立ったキジには何度か驚かされた。やっと坂を登りつめ、草むらに腰をおろし、涼をとる。一息ついた時、スルリスルリと葉ずれの音が近づいて来て、通り過ぎて行く。そっと立ち上ってあたりを窺ったら、太いアオダイショウの横腹が覗いていた。物音ひとつしない冬枯れ時の夕まづめ、対岸の斜面では、短い昼間を一刻でも惜しむようにノウサギが独り無心に遊んでいる。斜面を上り下りする時の跳躍力は素晴らしい。特に上り斜面をあの勢いで飛翔すると、どんな猟犬でも追い付けないだろう。秋の夕暮れ、斜面の遥か下方で、盛んに犬の鳴き声がすると思ったら、下の方から何かガサゴソとネザサの中を登って来るものがある。とっさに傍らの盛り土に上って見渡したら、大きなイノシシが脇目もふらず私の一メートルほど横を駆け抜けて行く。何といっても六甲山でよく出くわす大型動物といえばイノシシである。
 
 
 六甲山系でイノシシが急増したのは、この山系に隣接する丹波、北摂、北播、東播地方において宅地や工業団地開発のため生活圏を奪われたイノシシが、禁猟区である六甲山系に逃げ込んできたことが直接の原因であると思われる。また、六甲山系南麓の住宅街でゴミ箱を漁れば容易に残飯にありつけることにも原因があるのだろう。
 
 
 ある時、幼馴染みで、当時神戸新聞丹波総局長を務めていた友人から、自然や生物を題材に随筆を書いてみないかと誘われた。以前からクズとイノシシの関係を書いてみたいと思っていたから、快諾した。今回と同様に、最初に猪飢渇のことを紹介し、六甲山には沢山のイノシシが住み付いていることに言及した。その理由としてイノシシの餌になるクズが六甲山系には大繁茂しているからだと結論づけた。担当記者氏に原稿を送ったところ、なかなか面白い話だとお褒の言葉をいただいた。また、一語一句たりとも付け加えたり、削除したりする箇所は見当たらないとも言われた。そのあと少し間を置いて、記者氏は「実は」と言葉を挟んで次のような経緯を話した。
 
 
 新聞社としては誤った論旨の記事を掲載することは出来ないので、私の随筆をある関西の私大の動物生態学を専門とする先生に読んでもらったそうである。当時、その先生はイノシシの集団の行動を研究されていて、私もお名前は存じていた。先生の主張は、イノシシの増加は、その頃六甲山中の住吉川や芦屋川の上流で行われるようになったハイカーによる餌付けに起因するのではないかと言うことだった。記者氏は猪学者と葛学者の両説のどちらに分があるのか、判断に迷ったのであろう。しかし、いずれにしても確証はない。きっと、私の説を没にする理由が特にない上に、六甲山とクズとイノシシ三者の結び付きが何となくミステリアスに聞こえて、読者受けがしそうなので私の随筆が記事となったのだと思っている。
 
 
 その後、餌付けはされたが、人間の残飯の味を覚えてしまったのであろうか、イノシシは深夜に市街地まで下りてきて、ゴミを漁るようになった。そのうち、農作物の臭いに引き寄せられるのか、神戸大学農学部の研究圃場を荒らし始めた。当初は生捕り用の檻を設置したが、それでは間に合わなくなり、圃場全体を金網フェンスで囲んだ。甘味の乗ったカンショが食べられるなら金網ごときは何物ぞとばかり、一気に蹴破ってしまった。とうとう太い鋼鉄製フェンスに取り替えた。すると、次は花壇のミミズの掘り出しにかかった。草花や低木が一夜のうちに掘り返されて無惨な姿を晒した。夕闇が迫る頃になると親子連れのイノシシがキャンパス内を徘徊する姿などは見馴れたものになってしまった。私はイノシシを目撃するにつけ、クズとイノシシとの間に横たわるはずの因果関係を見つけ出す手だてを考え続けていた。
 
 
 クズのことを「イノコ」(島根県色智)とか、「イーコーカネ」(備前・備後)と呼ぶ地方がある。「イノコ」とはイノシシの子供すなわちうりぼう(瓜坊)のことである。またクズのことを「カンネ」(長崎県南高来・熊本県球摩・鹿児島県鹿児島市・種子島・黒島・熊毛)と呼ぶ地方がある。「カンネ」は「寒根」の漢字が当てられ、冬季が収穫適期となる根のことを意味するのだろう。冬場になるとクズの根は澱粉含量が高まり、ぷっくりと太って、うりぼうにそっくりだ。上述のように、クズの根はイノシシの餌となる大量の澱粉を含むだけでなく、プエラリンを主とする大量のイソフラボンを含有することに注目すべきである。イソフラボンは女性ホルモン様作用をもつ植物エストロゲンと呼ばれる機能性物質である。イノシシが多産であるのは、クズの根を大量に食して栄養が十分に行き渡っているうえに、植物エストロゲンをふんだんに摂取して生殖機能が充実し、授乳態勢も整っているからではなかろうか。近頃では、「ダイズ」といえば「女性ホルモン、イソフラボン」と反射的に言葉が返ってくるが、クズの根はその五十倍もの女性ホルモン様物質を含有するのである。しかし、当時私はクズのイソフラボンに関する知識を持たなかったものだから、クズの繁茂がいかにイノシシ個体群の増大に寄与しているかを論ずるのに歯切の悪いものになってしまった。次に六甲山系にイノシシが増えた原因について尋ねられた時には、私見の真偽のほどはともかくとして、クズが女性ホルモン様物質を大量に根に蓄積していることとイノシシの多産性とを関連付けてクズの逸話を紹介したいと思っている。
 
 
神戸大学名誉教授 津川兵衛