葛の話シリーズ 第三十二話

 

 

葛棚

 

 

 

わが屋戸の田葛葉日にけに色づきぬ 来まさぬ君は何情そも (巻十 読み人知らず)

 

 

 

この秋の相聞の歌を詠んだ女性は、強い西日を避けるために庭に葛棚を設けていたのかも知れない。秋が深まって、棚にはい登ったクズの葉が黄味を増すのを見るにつけ、そぞろ人恋しさを覚えるようになったのであろう。

 

 

二十世紀初頭、米国南部でクズが牧草として栽培されていた頃には、あちこちでテラスにクズをはわせて日よけを作っていたそうである。わが国では、公園や遊園地には必ずといってもよいほど藤棚がしつらえてあるが、葛棚などというものは聞いたことがなかった。ところが、昭和四十八(一九七三)年に東京都文京区春日一ノ五にある礫川公園には、確かに葛棚が存在すると教えてくれた人があった。筆者はその年の十一月に写した数枚の葛棚の写真を持っている。葉はずいぶんと黄ばんでいて、落葉も著しい。このクズの株元の直径は約十センチにもなっている。幹には、これが葛棚であることを示す「クズ」の名札が付いていた。

 

 

それから二十五年もたった頃、兵庫県明石市が管理する自宅近くの三角公園に葛棚が出現した。棚を支える四本の柱の根元に各一個体ずつフジを植えたつもりが、そのうち一本はクズだったようだ。茎の伸長はフジよりもクズの方がはるかに大きいため、藤棚を作るつもりが葛藤棚になってしまったのだ。数年間はこの状態が続いたので、市当局の粋な計らいを喜んでいた。しかし、ついにはクズがフジを抑え込んでしまった。クズの悪行が露見したようだ。公園管理を請け負っている造園業者がクズを完全に駆除してしまった。

 

 

現代日本人の感覚では葛棚を想定外とするのが当然なのだろう。礫川公園の葛棚は今頃はどうなっていることだろうか。

 

 

神戸大学名誉教授 津川 兵衛