葛の話シリーズ第十話

 

葛と健康(十)

 

褐色の汁液

 

 

中国の話である。臨海の章安鎮という村に蔡という大工がいた。ある宵の口のこと、仕事からの帰り道に東山という墓場のあるところを通りかかった。祝い酒でもしこたま飲んだのであろうか、彼は泥酔していたのである。そこに放置されていた棺樋を自分の家の寝床と勘違いし、その上で寝込んでしまった。夜中に酔いが醒め、寒さで目をさましたが、真暗闇で進むことが出来ないので、やむなく棺の上に座って夜明けを待つことにした。すると棺の中から声がした。「私は某家の娘です。病気になって死にそうです。私の家の裏庭の葛兄ちゃんが私に崇っています。法師にたのんで葛の霊を取り除いてください」

 

翌日、蔡はその家を訪れ、主人に言った。「私が娘さんの病気を治してあげましょう。ところで家の裏にクズを植えたことはなかったでしょうか」主人が案内した裏庭は、すっかりクズに占領されてしまっていた。蔡は這いつくばってクズの蔓を刈り払い、大きな根を掘り当てた。根に傷を入れたら血が出てきたので、それを煮て娘に飲ませたら病気はすぐに治った。

 

この話は元末明初の学者、浙江省出身の陶宗儀の撰による「輟耕(耕をやめてしばし憩う)録」(全三十巻、一三六六年刊)に出ている。本書は選者の耳目にふれたものの記録である。筆者はクズにまつわる逸話を渉猟していて、たまたま見つけた一逸話を紹介したにすぎないが、本書は元代の社会、兵乱、法制、書画文芸、遊戯等について広く集録し、正史の欠を補うものも多いと言われていることを申し添えておきたい。

 

クズが樹木に巻き上がり、樹冠を閉塞させるさまは物凄いものがあるので、クズの霊は人に取り付くと信じられていたのであろう。蔓だけを取り除いても茎葉が再生してクズは死なない。だから、蔡はクズを根絶するために根を掘り起こして、それに鎌を突き立てた。すると、血潮が傷口からほとばしった。血と見えたのは根に含まれる褐色の汁液で、それが娘の病気に効いたのである。

 

ところで平成十年三月発行の天極堂通信販売カタログ『葛だよりNO四』の「韓国の葛水」には、葛の根の搾汁液(葛水)は宿酔を取るのによく効くという話を載せた。この逸話で娘に飲ませたクズ根の汁液は韓国の葛水と同種のものだ。わが国では、クズの根は風邪薬葛根湯の主薬として古くから用いられてきた。これらのことから推察すると、東アジアではクズ根の汁液には薬効があると昔から信じられていたのであろう。

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛