葛の話シリーズ 第三十九話

 

 

詩経の葛生(かっせい)

 

 

 

二〇〇八年六月二十一日の新聞は、「詩経の木簡国内初出土」の見出しで、中国最古(紀元前十一世紀から紀元前六世紀)の詩集「詩経」の注釈書の一節が記された九世紀前半(平安時代)作製の木簡がわが国で初めて発見されたことを報じた。一九九三年に、私は詩経国風からクズを詠んだ詩を拾い出していた時、後述する「唐風(とうふう)」中の「葛生」と題する詩の第一章と第二章の冒頭の句に強く引かれた。これらの句に誘われるようにしてクズ・ノイバラ群落の階層構造に関する研究を開始した経緯があるので、新聞記事が目についたのを機に、「葛の話シリーズ」で「葛生」の句の意味を紹介したいと考えていた。

 

 

 

葛生(葛生えて)

 

 

第一章 第一節 葛生ひて楚に蒙(こうむ)り【クズが生えて楚(ノイバラ)を覆い】

 

第二節 省略  ・  第三節   省略

 

 

「葛生」は妻が夫の死を悼む歌であると注釈されている。すなわち夫の墓前でお祭りをする時、墓に臨んで嘆く歌であると言う。そのような解釈に基づくなら、前出のクズとノイバラは、情愛がこまやかで助け合って暮らす夫婦のようだと読み取れる。さしづめ、ノイバラは妻で、クズは優しく抱擁する夫であろうか。あるいは、ノイバラが夫でクズは妻なのだろうか。このような発想から、私はこれら二種の植物の共存のメカニズムに非常に興味をそそられたのである。

 

 

私のクズ研究は六甲山南麓のクズ自然群落の構造解析から出発したが、やがて大きな群落が見つけ難くなり、大学構内の圃場での栽培実験に移った。しかし、夏に長雨の年が続いたためクズに疫病が多発した。六年にわたり栽培実験を繰り返したが、二年成功したにすぎなかった。それでも何とか四篇の論文を物した。しかし、こんな非能率なことではやってゆけないと考え、遠隔地でもよいから、自然群落の研究に戻ることを決意した。六甲山南麓でクズとノイバラの混合群落を目にした時、太い越年茎をもつクズに押し潰されずにノイバラが共存し得ることを不思議に思った。さらに「詩経」の「葛生」から、クズとノイバラの間に夫と妻(あるいはその逆)の関係を想定した時、ノイバラの樹体はクズの茎葉重量に正面切って抵抗するのではなく、体をかわして重圧を避け得る巧妙な仕掛けがあるに違いないと考えるに至った。そこで、クズとイノバラの共生関係を次の研究課題に据えることにした。

 

 

一九八〇年代半ばから鳥取大学名誉教遠山征瑛さんの「黄竜に緑衣を送る」との呼び掛けに応じ、また一九九二年から私が始めた「ピナトゥボ火山爆発被災地の緑化」に共鳴して、クズの種子採取に協力して下さっていた兵庫県相生市相生小学校校長山本勉さんには、クズ繁茂地となっている相生市野瀬亀の尾、市立相生中学校の東側に隣接する東西二十メートル、南北五十三メートルのかなり広い休耕田を借りるのにお骨折り頂いた。また、当時の相生中学校校長戸畑敏晴さんと田中司朗さんは空室となった倉庫と、隣の調理室を休憩用に使うことを許可して下さった。

 

 

相生市の休耕田まで学生たちを連れて調査に通うには交通費や昼食代が必要だ。費用を捻出するために、(財)地球環境財団の研究奨励金に「ノイバラの混在がクズの階層構造に及ぼす影響」のテーマで応募したところ、運よく採用された。この研究では、クズとノイバラが共存する群落とノイバラ不在のクズ群落の両者を対象にして二月と八月に、層別刈取り用一平方メートル方形枠を用いて植物体を地際から二十センチメートルごとに採取した。調査は両時期の両群落とも十反復で行うことにした。

 

 

私の研究室のクズ研究班の学生とは姫路行新快速の車内で合流した。姫路駅で三色弁当を買って播州赤穂行の普通に乗り換え、相生で下車。駅前から相生港までバスに揺られて二十分弱。その後は徒歩で約1時間。峠を越えて野瀬坂を下ると中学校の正門前に行き着く。

 

 

当時は元気だった。冬なら防寒にレインコートを羽織り、夏なら日よけに麦わら帽子を被って、直ちに休耕田へ飛び出す。前もって決めておいたように、クズが良く繁茂し、しかもノイバラの茎葉が密生するために凸状に盛り上がった群落をクズ・ノイバラ群落の調査に当てた。一方、ノイバラが存在せず、クズ茎葉の繁茂が顕著な場所をノイバラ不在のクズ群落とした。

 

 

選定場所には直径三ミリメートルのステンレス鋼製の一平方メートル方形枠を置き、その四隅に直径一センチメートル、長さ2.5メートルのステンレス鋼製の棒を立てた。方形枠はステンレス鋼製の棒に沿って自由に上下に滑らせ、また希望する高さで停止できるようにした。群落上方から地際に向かって二十センチメートルずつ方形枠を降下させながら枠内に入る植物体を剪定鋏で切り取って、厚手の大型ビニール袋に入れる。この作業ではノイバラの刺に悩まされた。刺は軍手を二枚重ねてはいても通してしまうほど鋭い。採取に行った日は掌(てのひら)も手の甲も傷だらけだった。

 

 

採取した植物体は大型リュックサックに詰め込んで、その日のうちに大学まで持ち帰らなければならない。入り切らない分は手にさげる。帰路の野瀬坂越えはさすがに辛い。峠の頂上近くになると、十メートルほど歩いては立ち止まり、次に十メートルほど歩いては、「もうどれくらい登ったであろうか」と振り返って見る。そんなとき、ホトトギスの鳴き声が唯一の慰めだった。高校時代、国語教師から教えてもらった「テッペンカケタカ」の鳴き声を呟いてみた。いるいる遥か上空で羽ばたいている。峠を越えると港町の灯が見えてきた。大学へ寄って荷物を置いて、帰宅すると十時を過ぎていた。

 

 

翌日は採取した植物体の仕分けから始まる。まず、ビニール袋から植物体を取り出して実験台の上に広げ、クズ、ノイバラ、その他の植物種ごとに分ける。クズの場合、八月採取のみに存在する当年茎は、茎、葉柄、小葉、花房に分け、茎長、各器官乾物重および葉面積を測定した。越年茎は茎横断面に年輪様に形成された維管束環数によって一環茎、二環茎、三環茎に分けた。二月、八月ともクズの枯死葉、枯死茎重も測定した。ノイバラは茎、葉および果実に分けた。茎は直径一センチメートル以下(一センチ茎)、一ないし二センチメートル(二センチ茎)、二ないし三センチメートル(三センチ茎)の三段階に分け、茎長と乾物重を測定した。このように、私の時代の植物生態学の調査手法は極めて単純で、鋏(はさみ)・物差・秤があれば事足りた。しかし、一連の作業は非常に辛気臭い。クズ・ノイバラ群落とノイバラ不在のクズ群落の測定データを得るために休日を返上しても一ヶ月以上を要した。ノイバラの仕分け、茎長測定、あるいは乾燥を促進するために茎を小片に刻む作業でもノイバラの刺には悩まされた。そして、苦労の甲斐があって、やっと測定データの整理が終わった日には祝杯をあげた。最後に、二月と八月のクズ越年茎の維管束環数別の長さと乾物重、ノイバラ茎の直径別の長さと乾物重の測定値を組込んだ階層構造図、ならびに八月の当年茎長の階層構造図を描いた。主として、これらの階層構造図の比較に基づいて、私が推定したクズとノイバラの共生のダイナミズムを述べてみたい。

 

 

ノイバラの有無によってクズの階層構造に顕著な相違が認められることから、クズの群落構造はその支持物となる混在植物の形、大きさや生活様式に大いに影響を受けることは間違いない。クズ・ノイバラ群落では、二月には平方メートル当りクズ全越年茎長の五十一・七%、全越年茎乾物重の六十二・五%、八月にはクズ全越年茎長の六十九・三%、全越年茎乾物重の七十六・一%が最下層(○~二十センチ層)に分布した。二月と八月の階層構造に見られる越年茎の長さ、ならびに乾物重の差は、クズの越年茎がクズ・ノイバラ群落内を落下することを示している。また、ノイバラとの共存においては、クズ当年茎は二百~二百二十センチ層までノイバラ上を登縁し、八十~百六十センチ層が平方メートル当り全当年茎長の七十一・八%を占め、最下層には五%が分布するにすぎなかった。これらのことは、クズの茎は生育初期にはノイバラの樹冠に巻き上がっているが、経時的に群落内を降下してゆくことを立証する。なお、二月と八月の間でノイバラの二センチ茎と三センチ茎の平方メートル当たり茎長は減少し、逆に一センチ茎が増大するのは、この期間にノイバラ茎の新旧更新が起こっていることを示唆するものである。このノイバラの茎の更新はクズ越年茎の群落下部への降下を促進するものと推察される。

 

 

ここでクズとノイバラの生活環の相違点にも注目しながら、両種の共存のメカニズムについて考えてみたい。ノイバラは二月下旬に萌芽して、茎葉を発生し始める。一方、クズが萌芽するのは四月上旬で、ノイバラ樹冠の大半を被覆するには六月下旬までかかる。春先から初夏の比較的冷涼で日射もさほど強くなく、かつクズの草冠によって被覆される以前にノイバラは十分に日射を受けて成長を進めることが出来る。またノイバラは、夏には厳しい直射日光を遮断し、過度の乾燥を防いでくれるクズの当年茎葉冠に保護されるような形で生育するものと推察される。

 

 

前述のように、クズ・ノイバラ群落ではクズ越年茎をノイバラ樹体から離脱させる仕組み、すなわちノイバラ茎の更新が適切に行われているからノイバラは倒伏を回避でき、クズの茎は着地が妨げられることはない。しかし、樹木のように強固な支持物に巻き上がったクズのように茎の着地が困難になると、発根節は形成されず、茎は局地的に空中に浮き上がってしまう。すなわち、越年茎と節根からなるクズの網目状構造にほころびが生じたようになり、その土壌流亡防止機能は十分に発揮され得ない。この点クズ・ノイバラ群落は土壌流亡防止のために優れた植被であると言える。しかも、この群落では刺を有するノイバラは家畜の食害からクズを保護する役割を果たすので、放牧地帯においてもクズの絶滅は避けられ、混合群落は維持される。しかし、人が澱粉や生薬のためにクズの根を採取すると、ノイバラは保護を失って熱暑と過乾燥に耐えられず死滅する。植被を失った黄土の大地は、旋風が吹き荒れると黄麈が浮遊するようになる。やがて家畜は死に絶え、人は去り、荒涼たる地肌を空しく曝すだけの砂漠が果てしなく広がり続ける。

 

 

後日談になるが、ここで説明した調査以外にも三年間同じ休耕田を使って研究を行い、クズとノイバラを根こそぎにしてしまった。その後、この休耕田を引払い、相生中学校校庭の南側にある金網フェンスにクズを巻き登らせて、クズの再生力の研究を始めた。休耕田を離れて二年目の秋に、久しぶりに元調査地を覗きに行った。本来、八月のクズ・ノイバラ群落では平方メートル当り八グラム、ノイバラ不在のクズ群落では十六グラム(ともに乾物重)存在するにすぎなかったセイタカアワダチソウが、分け入るのも困難な草丈二メートルに近い純群落を形成していた。三百メートルほど南を走る車道からでも背の高い黄一色の群落は目立つに違いないと想像すると、一瞬その場に留っていられないほどの動揺が走った。今後どうなることかと心配し、土地所有者に申し訳ない気がした。しかし、どうする術もなかった。

 

 

翌年秋に再び訪れると、風景は一変していた。白、ピンク、赤紫の美しい花が、過去の珍事にはまったく無頓着なようすで、ただ海風に揺れるコスモス畑になっていた。

 

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛