葛の話シリーズ第二十三話

 

 

続クズによるピナトゥボ緑化に対する批判に答える

 

 

 

二〇〇三年の夏は、例年に比べて日照時間が短く、気温も低かった。それでも、クズは元気よく木に巻き上っている。フィリピン・ルソン島中部のピナトゥボの地でも、雨季を迎えると、クズは地表に勢いよく蔓をはわせて、網目状構造を発達させ、ラハール(火山性泥流堆積物)の流出を食い止めてくれていることだろう。

 

 

平成四(一九九二)年には、「クズによるピナトゥボ緑化」と称して、熱帯果樹プランテーションの被覆作物としてピナトゥボ南山麓へクズを導入し、成果を上げてきた。今後、本格的な草地農業の一環としてクズを使うため、兵庫県下の小学校に依頼して種子を集めてもらっている。

 

 

平成四年以来、毎年十二月半ばには、相生市立相生小学校では全校挙げてクズの種子採取を行っている。そのため、採種作業は小学校の年間行事の一つとなり、作業風景は季節の風物誌としての評判を得ている。そんなわけで、ときどき新聞紙上に「クズによるピナトゥボ緑化」が顔を出す。これに目を止めた生物学を担当されている高校教師の方から、相生小学校校長に苦言を呈する投書があった。校長は教頭ならびに種子採種担当教論と話合われたが、返事に窮して質問状を私の方へ回してこられた。

 

 

クズは、わが国では優れた飼料草として利用されてきたものであって、フィリピンでもクズを自然と調和させながら、農業生産に役立たせることが出来ると確信している。そのために、生態系の破壊や遺伝子の撹乱を引き起こさないよう工夫が凝らされていることを説明したい。また、フィリピンの地でクズを農業に組み入れようとしている筆者の活動の一端をご理解いただくために、紙面をお借りした次第である。本来なら、投書の全文を掲載すべきなのだが、紙面の都合で、重要部分だけを抜き出し、それらについて私見を述べることにしたい。

 

 

『日本でもザリガニ、オオタニシ、セイタカアワダチソウなどによる被害、日本古来の在来植物の減少、琵琶湖をはじめとする湖・河川のブラックバスやブルーギルの増加による生態系の破壊などが社会問題となっています』

 

 

まず、クズはフィリピンにも分布するので、本種はフィリピンの在来植物でもあることを念頭に置いていただきたい。

 

 

投書氏は、クズとは無縁の生物の例を取り上げ、フィリピンのクズも同様な問題を起こすであろうと的外れの想像をされるのは心外である。ピナトゥボ火山爆発の翌(一九九二)年にクズを植え始めてからすでに十余年が経過するが、クズが過大繁殖して他植物を駆逐したとか、巻き登って樹木を枯死させ、地域住民から非難を受けたことなどは一切ない。

 

 

クズは、雨季には厚く地面を被覆してラハール流出をよく防いでいる。大気中の窒素の固定、ならびに落枝葉を土壌に還元して、地力の向上に役立っていることが確かめられている。また、他の草種が枯れ上がる乾季に、クズは茎葉を展開してラハールが飛散するのを防いでいる。これらの事実は、クズが果樹プランテーションにおいて優れた被覆作物であることを示している。そうかと言って、クズだけが繁茂して、他植物を寄せ付けないということもない。逆に現地ではクズが雑草を呼び込んだと言われている。数年たてば種々の雑草が侵入してクズが目立たなくなる。しかし、クズの旧茎が形成する網目状構造はしっかりと地面を固定してくれていることは証明済みである。

 

 

古来、わが国では、クズは高い栄養価、ならびに優れた家畜嗜好性を有する飼料草としての評価を得ていた。この事実をわかりやすく、「釣りキチ三平」で有名な漫画家の矢口高雄さんが講談社文庫「螢雪時代 第五巻 ボクの中学生時代」の三二七~三三七頁で紹介されている。氏は昭和十四(一九三九)年秋田県の生まれである。家は貧しい農家であったため、本人は高校進学を断念して就職することを心に決めていた。氏の才能の発露を期待する担任教師の懸命の説得が、最後まで進学を拒否する父親を翻意させた。ただし、母親が、ウマの飼料となるクズの葉摘みで学費を賄うという条件付きだった。クズの葉摘みの時期は真夏である。炎天下に草いきれの中、学資稼ぎになるほど大量に葉を摘み取るのは、相当の難行である。「ボクの中学生日記」には十一頁五十二コマにわたってその様子が描かれている。

 

 

クズの地方名は全国で約百通りある(日本植物方言集(草本類篇)、社団法人日本植物友の会、八坂書房)。群馬県東部山田郡では、クズを「ウマノオコワ」と呼んでいる。千葉県柏市では本種を「ウマノボタモチ」、同県印旛郡では、それが訛って「マンボタモチ」となる。この地方名の発祥は、苦しい労役を終えたウマをねぎらうために、大好物のクズを与えたことに由来するのだろう。ウマがクズを食することが出来るのは、私達の先祖が日常口にすることの出来ない大好物のお強(赤飯)や餡ころ餅を、ハレの日(特別の祝祭日)に限って食べることが出来たのと同じことなのだ。ウマ以外でも、ウシ、ブタ、ヤギ、ヒツジ、ウサギ、ニワトリ等の家畜やシカはすべてクズを好む。ピナトゥボ山地一帯は、腹を空かせたウシ、カラバオ(水牛)、ヤギの群れが餌を求めて徘徊している。私たちはクズの育苗場および植裁地に防護棚を作り、これら家畜の侵入を阻止している。ピナトゥボ山地では、多数の家畜の存在により、日本産のクズは完全に隔離下に置かれていると言えよう。なお、ピナトゥボ山地の南のブラカン州、北のパンガシナン州とラユニオン州で分類学者がクズの標本を採取しているので、元はピナトゥボ山地にも生育していたものと思われる。しかし、私の探索では発見出来ていない。そのかわり、クズに類似する形態、ならびに生育習性をもつマメ科ハッショウマメ属の、現地名をドグロと称する種が群落を形成するが、家畜はこれを食べない。ピナトゥボの地では、家畜の好まない種が繁茂し、好む植物が消滅したとも考えられる。

 

 

ピナトゥボ緑化に対する抗議文の第二番目の要点は、遺伝子撹乱の問題にあるようだ。それは、日本からフィリピンへ持ち込んだクズ(プエラリア・ロバータ)とフィリピン在来のクズ、あるいは他のクズ属植物との間で交雑が起こり、遺伝子が混ざり合うことで純粋性が失われるという生物学的事象と考えてよいのだろう。

 

 

『子供達に、緑化とフィリピンの生態系に及ぼす遺伝子撹乱という矛盾する問題を理解させることは困難な部分もあると思いますが、自然はそんなに単純なものではなく、日本の植物の移入はフィリピンの自然にとってありがた迷惑であり、フィリピンの植物はフィリピンの植物で考えなければならない問題だと思います。そして、この遺伝子撹乱の問題はフィリピンにおいても、日本の一般にも共通理解されていない面があります』

 

 

フィリピンでは、役牛・乳牛としてのカラバオ(水牛)と肉牛の飼育指導が、わが国の技術支援面で大きな課題となっている。他の東南アジア諸国と同様に、火入れをした牧野には、蛋白質含量が低く、疎剛かつ家畜の嗜好性の劣るコゴングラス(オオチガヤ)や、もっと劣悪なイネ科草が群落を形成し、良好な家畜生産を阻んでいる。そのため、これらイネ科草を抑えて、草地改良に役立ち、蛋白質に富む嗜好性の高いマメ科草の探索が行われている。しかし、現地にうまく定着して、他の条件を都合よく満たしてくれる優良草種が見つかっていないのが実状である。投書氏は、たぶんフィリピンのこのような状況をご存じないだろう。

 

 

クズは家畜の嗜好性が高く、コゴングラスなどとも十分に競合できることがピナトゥボ十年の経験からわかっている。だから、本種をプロティン・バンク(蛋白質供給基地)として使うことを提唱してきた。たとえば、コゴン草原の中に、一辺二十五メートルの正方形の面積を有刺鉄線を巡らした牧柵で区切り、家畜を入れないようにする。そして牧柵内でクズを栽培する(プロティン・バンクの造成)。造成後、二ないし三年目から周辺草原の草が疎剛になり、家畜が食わなくなった時季を見計らって、出入口を開き、バンクを解放してクズを家畜に食わせる。過放牧にならないように、一定期間後に退牧させ、バンクを閉鎖してクズの回復を待つ。このプロティン・バンク法は熱帯クズ(プェラリア・ファセオロイディス)のために開発された方法なのだが、クズに適用してもおかしくはない。

 

 

以上、クズのプロティン・バンクの造成について説明したが、バンクの牧柵の囲いからクズは容易に逃げ出すだろうと想像されるに違いない。バンクの敷地外へはみ出たクズは、放牧家畜に随時食われて、常に刈り詰められた状態に保たれる。敷地内のクズは、定植後少なくとも三年間は花を着生しないことが実験でわかっている。三年目以降は、毎年花芽形成前にバンクを解放して放牧に供すれば、茎葉は食われて花房が形成されることはない。だから、遺伝子撹乱は生じない。フィリピン産のクズはピナトゥボ山地では消滅してしまったようであり、利用の歴史は判然としないが、前述のように、日本では飼料草として高い評価を得ている。このような草種をフィリピンへ導入して草地農業の確立を計り、自然を活用しながら保全しようとする試みが、なぜ投書氏がおっしゃるように、『日本の植物の移入はフィリピンの自然にとってありがた迷惑であり』となるのか理解できない。

 

 

フィリピンの人達は自国の牧畜を盛んにして、良質の動物性蛋白質資源を確保し、食生活の向上に繁げることを第一の目標にしている。そのために栄養価の高い飼料草が必要なのだ。そのような時に、フィリピンのために必要な植物は、何が何でも自国の植物で間に合わすべきだと、頑迷な主張に固執される投書氏の態度は納得できない。植物種の純血を守ることの方が人の命より大切であると受け取られかねない。

 

 

どの国も解決を急がねばならない多くの問題を抱えている。何を最優先にすべきかは国によって異なるはずだ。一般的にいって、『クズの遺伝子撹乱』を恐れて、疾病・飢餓防止など、人間の生命の安全を計るべき良質な動物性蛋白質の生産が妨げられてよいはずがない。そうでないと、投書氏が心配されるように、この遺伝子撹乱の問題は一般に理解され難いだけでなく、激しい反発を招くことになるだろう。

 

 

次の一節が抗議文の第三の要点であると思われる。

 

 

『クズをフィリピンのピナトゥボ火山に送るという運動自体は随分前に聞きました。それは神戸大学農学部のある先生がおっしゃられたことがきっかけであると思います。しかし、それには問題があり、もう取り組まれていないと信じておりましたが、まだ続いていると知り驚いております。〔中略〕将来、子供たちがクズの移入は環境破壊につながる(学校では今や常識)と知ったとき、より大きな衝撃を受けるのではないでしょうか。環境教育とはどうあるべきか。これは感覚的な問題ではなく、科学的でなければいけないと思います。』

 

 

ピナトゥボ山が二十世紀最大の火山爆発を引き起こし、東京ドームの五千六百杯分以上の火山灰や火山弾を吐き出した。それが、大小河川に沿って流れ出し、ラハール(火山性泥流推積物)として広がった。ラハールの流出を防ぐためにクズを植えた。ラハールを固定した後にマンゴー、パパイヤ、バナナなどの果樹プランテーションの造成と建築用材になるマツの植林を実施した。さらに、オクラ、カンショ、サトイモ、キャッサバなどの菜園をつくり、現金収入の途を開いた。

 

 

ピナトゥボ爆発時(一九九一年)には、アエタ族はウシとカラバオ(水牛)を合わせ約三十頭を飼っていたのだが、二〇〇二年にはそれらは約百五十頭に増えている。他にヤギ、ブタ、ニワトリもいる。兵庫県氷上郡山南町(現兵庫県丹波市山南町)のNPO・IKGS緑化協会は、アエタ族の代表を三度にわたり日本へ招き、一万枚以上のTシャツを集めアエタ族への送り物とした。だからアエタ族はこの十年間で大変な物持ちになったのである。

 

 

また、IKGSの活動は、兵庫県篠山市の篠山鳳鳴高校インターアクト部の活動にも影響を及ぼした。一九九九(平成十一)年以来、毎年部員約十名をピナトゥボとその周辺地へ送っている。高校生たちは街頭募金により集めたお金で識字教室を建てた。井戸を掘って、水が自由に使えるようにもした。

 

 

二〇〇〇年には鳳鳴高校卒業生を中心にして「丹波グリーンフォース(TGF)を結成し、大学での各自の専門に応じた活動を展開している。なかでも、二〇〇四年には先端技術を適用した浄水施設を完成し、アエタ族の人たちを喜ばせた。

 

 

IKGSのフィリピンでの活動は広く一般の支持を得ており、公にも認められるところとなっている。IKGSはその功績により「平成十年度ふるさとづくり奨励賞」などを受賞している。この団体は環境事業団、イオン環境財団などの助成を受けて緑化活動を続けてきたが、二〇〇二年にはJICAからの助成を得て、ルソン島北部イフガオ州の世界遺産棚田の保全に携わっている。

 

 

IKGSを引き継ぐような形をとることになった高校生(インターアクト部)、大学生(TGF)の活動は大いに評価されて、アエタ族のNGO・アエタ開発協会から感謝状を送られている。日本国内では、国、地方自治体、新聞社、民間団体から何度も表彰された経歴を持っている。二〇〇五年にはTGFは各種団体から助成を受けて、イフガオで初等教育、生活改善に関する活動に従事している。

 

 

アエタ族は大いに変った。大人たちはTシャツに半ズボンのこざっぱりとした姿で、風采が上がった。子供たちは髪を刈り上げてすっきりした。色とりどりのTシャツがよく似合う。瞳がきらきらと輝いている。他人に金品をねだったりしない。次はイフガオの地域振興にかかわる番である。ピナトゥボ体験をどのように活かすかが課題の一つである。

 

 

『まだ続いていると知り驚いております』と投書氏の言にあったが、「クズによるピナトゥボ緑化」が大発展を遂げた経緯を御承知にならないで抗議文をお書きになったのなら、誠に笑止なことである。もし『遺伝子錯乱』の非難を受けて「ピナトゥボ緑化」が頓挫していたら、アエタ族の人たちは今だにラハールに埋まって物乞いをしなければならなかったかも知れない。もし異国の地で嬉嬉として国際協力活動に励んだ体験がなかったなら、日本の若者たちは、将来の人生設計に当り、見過ごされがちな選択肢があることにまったく気付かずにいることになっただろう。

 

 

投書氏は『環境教育はどうあるべきか。これは感覚的な問題ではなく、科学的でなければいけないと思います』と述べておられるが、正にその通りである。

 

 

ピナトゥボで十年間クズを植えてきたが、クズは厳しい乾季に耐えて良く育っている。クズは被覆作物として優れた能力を有することの他に、家畜嗜好性が高く、かつ在来のイネ科草と共存できるので、フィリピンの草地農業への導入が有望視されている。しかも、筆者の予想通り、家畜を使えば栽培地から逸出させないようにすることが出来た。投書氏はこのような事実をご存じないのに、ザリガニ、オオタニシ、ブラックバス、ブルーギル、セイタカアワダチソウの例を取り上げ、ピナトゥボのクズも同様な運命をたどるだろうと推測されるのは科学的態度とは思えない。

 

 

さらに、ピナトゥボ周辺では在来のクズは消滅してしまっている。被覆作物として栽培されているヒガラの土地では、日本産の導入クズは刈取られるか、家畜に食われたりして、花を着けないようになっているのを知らずに、いかにも遺伝子撹乱が起るかのように述べておられるのも科学的態度とは言えない。すべてが思い込みで、仮定と憶測の上にのみ立って論じられていると言われても仕方がなかろう。

 

 

話は変わるが、第二次大戦前後に静岡県掛川市でクズの種子を採取して、アメリカへ輸出していたことがあった。当時、クズ種子一リットルの買上げ価格は、新卒者の給料一ヶ月分に相当したと言う。現在、採集されたクズの種子に値段をつけるとなると、一リットルの原価は二十万円を下るまい。倍はかかるのではなかろうか。

 

 

マメ科クズ属植物のうち、クズと熱帯クズだけが被覆作物あるいは飼料草として認められている。しかし、実用栽培に供されているのは熱帯クズただ一種にすぎない。その理由は、クズは稔実性が低いため種子の入手が困難で、クズの種子が極めて高価なものにつくからだ。「クズによるピナトゥボ緑化」は、営利を目的としないボランティア事業だからこそ可能なのだと言える。ピナトゥボ緑化において種子採集から育苗、草地造成に至る一貫体制を確立できたことは、今後の熱帯でのプランテーションおよび草地農業を考えるうえで、極めて意義深いものだと思う。これこそ、ピナトゥボ緑化の一大成果であり、小学生からお年寄りまで多数の人々の参加があればこそ達成できたのだ。

 

 

本論文のタイトルに「続」の文学を冠したのは、以前にも同様な抗議文を受け取っていて、その回答論文のタイトルを「クズによるピナトゥボ緑化に対する批判に答える」としたが、本論文はその続編に当たると考えたからである。以前の抗議文ならびに私の回答論文については、IKGS緑化協会(現IKGS)編「ピナトゥボに森をークズとボランティアの記録」を参照していただきたい。

 

 

なお、ピナトゥボ緑化に関心をおもちの方は「津川兵衛・TWサセック著、よみがえれ緑のピナトゥボー日比NGOによる共同緑化活動(津田 守・田巻松雄編、自然災害と国際協力ーフィリピン・ピナトゥボ大噴火と日本、新評論)」をご一読願いたい。

 

 

神戸大学名誉教授 津川兵衛