皆様こんにちは。株式会社 井上天極堂 岡本と申します。

今回は奈良県大和郡山市にある、『大和郡山城』へ行ってきました。

 

大和郡山城は、近鉄郡山駅から徒歩10分ほどのところにあります。近鉄電車からも石垣が見え、京都方面から電車で戻ってくるときに石垣を見ると、「奈良に戻ってきたなぁ」と思います。

石垣の向こうはどうなっているのかな…とずっと気になっていたのですが、今回が初めての訪問です。

 

まずは案内絵図をチェック。

今回は郡山高校沿いに歩き、天守台を目指すことにします。

郡山高校は二の丸跡に建っています。最後の城主だった方が学校にと寄贈されたそうで、奈良県内の公立高等学校の中で最も古い歴史を持つ学校です。

2004年(平成16年)に奈良県立城内高校と統合されたことで「城内学舎」と「冠山学舎」の2つの学舎がありましたが、現在「城内学舎」は廃止されています。

▼最初の橋を渡ると、石垣が見えてきます。ゆるやかな坂道を上ってゆくと、石垣をより近くに見ることができ、高さに圧倒されます。この石垣は「鉄御門跡」の石垣で、角に石碑があります。

 

ここからさらに坂道を上がっていきます。

先ほどより勾配が急になった坂道を登ってゆきます。

▼車も通る舗装された坂道で、堀の向こうにある石垣を眺めながら歩いていると、「郡山城跡由来」について書かれた石碑があります。

…天正8(1580)年、筒井順慶により築城された郡山城。野面積の城塁には仏石に類するものがすこぶる多く使用されており、城郭史上特異な存在として知られている。(碑文より抜粋)…

さらに先にすすみ、天守台へと続く道に到着。

▼柳澤神社の鳥居をくぐってすすみます。

柳澤神社は、初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。

創建当時は現在、奈良県立郡山高校のある二の丸跡に社殿が建てられましたが、1882年(明治15年)6月に現在の場所に移されたそうです。

目指す天守台は柳澤神社の奥にあります。

▼ようやく石垣が見えてきました。

この天守台の標高は81メートル、城下町地帯との比高は28メートルですが、周囲にさえぎるものがなく遠くを見渡すことができます。

訪れた日はあいにくの曇り空でしたが、遠くにある若草山を見つけることができました。

▼城趾会館や追手門もよく見えます。

天守台と展望施設は平成29年に修復・整備が完了しており、石垣も遊歩道もきれいになっています。

平成26年の発掘調査では礎石を発見。郡山城の天守が実在していたことが明らかになりました。

▼大和郡山城の石垣にはさまざまな転用石材が使用されています。「さかさ地蔵」は有名ですが、寺院の礎石、石塔、石仏、日常生活に使う石臼など、石垣の表面だけでも750基あまりが確認されています。

 

▼今年3月に復元され、まだ色合いも新しく美しい「極楽橋」。約150年ぶりによみがえった橋は、長さ約22メートル、幅約5.5メートル。追手門から天守台へ向かう道のりが近くなりました。

今回は初夏の新緑あふれる中散策をしましたが、大和郡山城の一番の見どころは桜です。

例年3月下旬から4月上旬には、「大和郡山お城まつり」が開催されます。第60回となる今年は、3月24日から8月22日まで152日間にわたり分散型・回遊型イベントを実施されています。

感染症対策をしっかりと行い、イベントに参加されてはいかがでしょうか。