2025年4月13日に室生寺に行きました
女人高野 室生寺
奈良時代末、のちの桓武帝である山辺親王の病気平癒を願ったことがはじまりで、興福寺の僧賢憬が創建したと言われています。
室生川が山腹をえぐるような場所にひっそりと建っています。
山の傾斜に合わせて建てられた小ぶりな建物で、自然を生かして配置されているところに日本らしい趣があります。
室生川にかかる太鼓橋からは四季折々の風景を撮ることができるおすすめの撮影スポットです。
橋を渡ってすぐの表門の前に標柱があります。これはお寺の表札のようなもので、上部には9つの菱型が見えます。
これは「九つ目結い紋」で室生寺の寺紋です。
三代将軍家光の妻で、五代将軍綱吉の母である桂昌院が室生寺が困窮した時に多額の寄付をしたことから本庄家の家紋が室生寺の自紋として使われるようになったそうです。
2本の大きな杉の木がありますが、これは「三宝杉」と呼ばれていました。ただ、2022年6月に1本が折れてしまったため、今は2本になっています。
樹齢はおよそ150~200年ほど。幹まわりは3mほどありますが、室生山には、これよりもさらに樹齢の長い杉がいくつもあります。
入山受け付けをしたらすぐに見えるのが仁王門。仁王門は江戸(元禄)時代に焼失しましたが、昭和40年に再建されました。
手水舎で口と手を清め、見上げると、丸い自然石を積み上げた階段が…
この階段は室生寺の名所の一つである「鎧坂」です。上の金堂を兜と考えると、幅広の階段が編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたといわれています。
写真家の土門拳さん室生寺に来たら必ず鎧坂を撮っていたそうです。
また、両サイドのシャクナゲが美しく、4月末から5月にかけてが見頃です。
春の陽気が続いたからか、この日は数輪のシャクナゲが咲き始めていました。
鎧坂を上がって左手にあるのが弥勒堂。
三間四方、入母屋造、柿葺のお堂で、修圓が興福寺に創設した伝法院を移設したと伝えられています。
元は南向きであったのを室町時代に東向きに改められ、江戸初期にも改造されているそうです。
中尊様は弥勒菩薩像で榧の一木造り。室生寺で一番古い仏様だと言われていて、両手、天衣、瓔珞なども含めて一つの木から刻まれています。
鎧坂を上がって右手にあるのが天神社。
拝殿の抜けている方向にある本殿のはるか向こうに龍穴神社があり、秋祭りのはじまりもこの天神社の前からスタートします。
天神社本殿の上方に生えている天神杉が樹齢500年以上と言われ、宇陀で一番太い杉の木と言われています。
拝殿の左手の石に刻んであるのは軍荼利明王で、右手の銀杏の木に吊るしてあるのは勧請縄です。
鎧坂の正面に見えていたのは金堂。
元は真正面から仏様を拝むことができていましたが、江戸時代に礼堂が足されて回廊が付いたため、縋破風式の屋根になって舞台作りになりました。
金堂の中尊様は釈迦如来像で榧の一木造り。着衣の衣文は漣波式と呼ばれる独特のもので、室生寺様とも言われています。
光背の後ろには1列くらいしか見えませんが伝帝釈天曼荼羅板絵があり、国宝です。
脇侍は薬師如来立像・文殊菩薩立像、それに薬師如来の眷属である十二神将。
前は脇侍として十一面観音像と地蔵菩薩像がおられましたが、十二神将の6体と共に今は寳物殿に移されています。
また金堂には他に客物である聖観音菩薩、大日如来、蔵王権現も祀られています。
もう一つ階段を上って見えてくるのが灌頂堂です。
中に入ることができ、如意輪観音菩薩が祀られています。
如意輪観音菩薩は榧の一木造りで、観心寺・神咒寺(かんのうじ)の如意輪観音とともに日本三如意輪の一つと称されています。2017年に修復され、きれいな色になっています。
そして階段の上に見えるのが五重塔です。
この五重塔は1998年9月の台風で杉の大木が屋根を直撃しましたが、心柱が直撃されず塔に傾きが生じなかったことから全壊は免れ、2000年7月に修復されました。その時の調査から794年に切った気が使われていたことが分かり、法隆寺の五重塔に次いで日本で二番目に古い五重塔であることが証明されました。
階段の下から見ると大きく見えるように作られているのですが、柱の間隔や屋根の漸減率、軒の色など工夫が凝らされていることが分かります。
階段を上って実際の大きさを見ると、その小ささが分かり、弘法大師が一夜で建てたというのもうなずけます。
五重塔の向こうには奥の院につながる階段があります。室生寺には700段ほどの階段があって、五重塔のあたりで大体半分。時間をつくってまた次回は奥の院まで行ってみたいと思います。
室生寺近くのおすすめのお店

室生寺でお食事をとるなら山菜料理の橋本屋がおすすめです。
山菜料理の主役、大和芋を使ったとろろは粘りが強く、ぜひ一度お召し上がりください。